プロフィール

2017.1.22セミナー①

 

■ 心理カウンセラー:三木ヒロシ

1972年 神奈川県川崎市生まれ

1990年 神奈川の高校を卒業後、フリーターとして生活

1994年 登録していた派遣会社からお声がかかり、
正社員として勤務をはじめる

2007年まで様々な現場でのリーダー、責任者、営業所での
所長代理などを務めるが、その後退職。

2009年 カウンセリングサービス

「ハートウォーミング・セラピースウィーニー」
を開業。

 

【保有資格など】

・一般社団法人産業カウンセラー協会 産業カウンセラー
・敬愛学院認定 メンタルバランス・マネジメント
・大阪商工会議所認定 メンタルヘルス・マネジメント2種
・埼玉こころの育み団体ゆっくりのんびりの会 認定講師

【カウンセリングルーム】

オフィス・スウィーニー

東京都府中市本町2-19-33 カーサ・デラエスペランザ303号室

Mail:mail@sweeny.jp

Tel:080-3604-6853

 

◆facebook

https://www.facebook.com/hiroshi.miki.39

◆twitter

https://twitter.com/nopanic1207

 

 

三木ヒロシがカウンセラーになるまでの経緯

※長文です。

こんにちは。
心理カウンセラーの三木ヒロシと申します。

私は現在、

「パニック障害専門カウンセラー」

として、北は北海道から南は沖縄の方の
カウンセリング、またカナダやフランスなど
海外の方へもカウンセリングをしています。

パニック障害専門カウンセラーとして2013年より
活動を始め、現在まで1800名以上の方々の
カウンセリングをおこなってきました。

これまでとても多くの人がパニック障害を完治され、
または改善されていかれるのを見て、

「私の使命はカウンセリングである」

と胸のなかに刻んだ次第です。

いまはほぼ毎日カウンセリングをさせていただいて
おり、完治、改善していく方の笑顔を見るたびに、
カウンセラーとして活動してきてよかった、と感じます。

そんな私ですが、最初からカウンセラーとして
順風満帆だったわけではありません。

実は過去に2度ほど私自身「パニック発作」を
経験しています。

パニック発作はツラいですね・・・・
パニック発作のツラさ、パニック障害の方の
苦しさは良くわかります。

もともとは約14年間ほど、人材派遣会社にて
サラリーマンをしていました。

神奈川県の高校を卒業後も定職につかず、
フリーターとして働いていました。

いまでこそ「フリーター」なんて言葉が
ある程度許されていますが、私の学生当時は
ちょっと肩身の狭い思いをしたものです。

そりゃそうですよね。

定職について毎日ガンバって働く、
給料を安定させるのが美徳とされていましたから。

19歳から始めたフリーター生活ですが、
そんな私も22歳になるとバイトの派遣先の
上司から正社員に誘われました。

「ここらで正社員になって安定させるのもいいかな?」

なんて軽い気持ちで上司からのお誘いをこころよく受諾。

晴れて正社員となりました。

 

フリーターと正社員の違いに驚く毎日

はっきりいって、正社員とアルバイトって、
そんなに違いが無いと思っていました。

そんなのあるわけないですよね。

そんなこともまったくわかっていませんでした。

まず、正社員とアルバイトでは責任の重さが違う。
もう、まったく違う。

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アルバイトでは許されていたことも、
社員になると絶対に許されない。

そのギャップに慣れるのにちょっと時間が
かかりましたね。

まぁ、この頃まではまったく甘い考えで
人生を過ごしていたものですから(笑)

社会の厳しさ、ツラさ、社会人とは?
ということをとても考えさせられました。

 

順風満帆な社会人生活。ところが・・・

厳しさに直面しながらいままでのぬるさをひっくり返され
ながら、それでも社員として社会人として経験を積んで
いきました。

社員になり4年が経過する頃には、
社会常識も身に付き、社員を育てるという
ポジションになることができました。

責任者という肩書きを持ち、日々仕事をしていました。

このあたりから、

「責任を持って仕事をするって、楽しいものだなぁ」

と、うっすらぼんやり感じていたことを覚えています。

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日々の仕事に追われながらも嫌ではなく、
給料も安定していたので不満はありません。

責任者という肩書きからある程度のプレッシャーや
気苦労などもありましたが充実していました。

そんな日々を過ごしていたある日、なんと、
お世話になっていた営業部長が会社を辞める
という話を聞きました。

この営業部長は私を正社員に引き抜いてくれた方で、
いろいろと社会というものを教えていただいた方です。

会社内で社長とそりが合わないといういう噂は聞いて
いましたが、まさかお辞めになるとは・・・

かなり驚きましたが、しょうがないですよね。
こればっかりは。

部長が退職されたあとも業務は変わらず、
淡々と日々忙しく過ごしていました。

部長が退職され、早いもので数か月が経った
ある日、退職された部長から携帯に電話が!

いったいなにごとかと思い、電話に出ました。

そしたらなんと、それはいまの部長の会社への
ヘッドハンティングのお話でした・・・

 

まさかのヘッドハンティング!驚いた私は・・・

まさかのヘッドハンティング。

ヘッドハンティングというのは、ようは
引き抜きですね。

私自身、それほど能力が高いと思っていませんので、
この話をされたときはとても驚きました。

ヘッドハンティングって、TVドラマだけの世界の
話だと思っていましたからね。

まさか生涯のなかで私にそんな声がかかるとは、
夢にも思っていませんでした。

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部長には「しばらく考えさせてください」
と伝え、電話を切りました。

部長は私の能力をとても高く買ってくれていました。

私自身、そう能力が高いと思ったことは無いの
ですが、自分が見る自分と他者が見る自分は
違うのかもしれません。

なんでも部長のいまの会社は新しい人員が欲しい
らしく、そのなかでも即戦力になるような
人間を求めている、とのことでした。

部長は私のことを良く知っているので、
戦力になると判断してくれたようです。

ありがたい話ですが、しばらく考えたのち、
ひとつの答えを出しました。

そう、それは「部長の提案に乗る」という答えでした。

 

気持ちを新たに、新しいスタートを切る!

新しいスタートを切る決心をした私は、会社に
退職の旨を伝えました。

会社側は私にある程度の期待をしていたようですので、
良い顔はしません。

何回かの引き留めに合いましたが、私の決心が固いと
思ったのでしょう。最終的には無事に退職する
ことになりました。

嫌がらせなどもなく、一応円満退職ですね。

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晴れて私は部長にその旨を報告し、
新しい会社の門をくぐることになりました。

会社を退職したあとは有休を消化し、
期待に胸を膨らませながら新しい会社の本社に
出勤をしました。

初出勤の日に、はじめて新しい会社の社長とお会いし、
簡単な面談、雑談などをしました。

社長はけっこうエネルギッシュな方で、さすが、
一代で全国に23営業所を作るまでになった方
だな~と思いましたね。

簡単な面談、雑談も終わり、私が配属される営業所は
都内にあるひとつの営業所でした。

その営業所から私の本格的な仕事は
再開されていきました。

 

順調に出世街道へ!だが、後に待っていたことは、、、

新しい会社での私の最初の仕事は、人での足りない
現場に赴き、アルバイトさんやパートさんの
勤怠管理、タイムカードチェック、現場指揮などでした。

新しい現場、最初こそわからないことだらけで
大変な思いをしたこともありましたが、
日々順調に業務を覚え、こなしていきました。

毎日の忙しさに自然と月日が流れ、気がついたら
私も新しい会社に来てから数年が経っていました。

現場にも慣れ、現場リーダー、副責任者、総責任者と
順調に出世へのステップを踏んでいきます。

その頃には契約しているお客様や自分の会社から
絶大な信頼をいただくことができ、一目おかれる
存在となっていました。

さらに数年後、現場責任者から外れ、配属されている
営業所の所長代理に任命されました。

いままで主に現場での作業やスタッフへの総指揮
だったので、いきなりの大抜擢です。

その抜擢に驚きながら、こころのなかでは嬉しく思い、
自分が順調に出世している感を満喫していました。

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ですが、いま思うと、営業所長代理というポジションは、
私には荷が重すぎたのかもしれません。。。。

現場から営業所の所長代理に昇格した私は、
いままで現場のことしかしてこなかったので、
事務のことなどがさっぱりわかりません。

とりあえずはたくさんのお客様のところに
所長と共に挨拶回りをし、早くお客様に顔を
覚えてもらうよう努力をしていました。

私がやっていた現場の責任者という立場と、
営業所の所長代理というのは、中身も
やるべきことも、すべてがまったく違います。

とまどいながらミスをしながら、時にはお客様からの
クレームを受け、でも必死に業務を覚えこなして
いきました。

全国に23営業所ある、そのひとつひとつの営業所は、
多くても5人くらいの体制です。

少数精鋭と言えば聞こえは良いですが、人数が少ない分、
ひとりひとりの社員は多くの業務を兼務していました。

私ももちろん例外ではなく、お客様のところへの営業回り、
アルバイトやパートさんの面接管理、経理事務のサポート、
社員やアルバイトさんなどの勤怠管理、求人広告への掲載、
新しスタッフの配属決め、請求書の確認提出など、
業務は多岐にわたりました。

そして、いろいろ業務を同時にこなしていくので、
時間が足らずに定時で終わることは無く、
毎日が早出と残業でさすがにヘトヘトでした。

朝は6時前には営業所に出勤し、夜は早くて23時。
遅いときは深夜の1時、2時に終了なんてこともザラでした。

このような生活を3年ほど続けましたが、
さすがに集中力も体力も限界をとうに超え、
ただただ目の前にある業務をこなしていく日々。

ひとつの業務をこなしても、またすぐ新たな業務に
とりかかる。

休みさえほとんどなく、出口の無いトンネルのような
感覚で働いていました。

そしてとうとう私は、すべてが力尽きてしまったのです。

 

いままでを振り返り、まったく新しい未来の選択

夜の22:20頃、気がついた私は救急車のなかで、
病院に運ばれている最中でした。

うっすらと記憶をたどっていくと、会社で仕事中に
倒れたことを思い出しました。

急に体に力が入らなくなり、めまいがして、
その場にバタっと倒れたのを覚えています。

働き過ぎによる過労状態でした。

朝も早くて夜も遅く、休みは2週間に一回あるかないか。

たまにあるお休みも会社から呼び出されることも
しばしば。

そんなことをくり返していたら、どんなに強靭な体力や
精神力を持っていたとしても、持つわけがありません。

現に、以前聞いたことなのですが、各営業所では
かなりの忙しさに失踪する者、金庫からお金を
奪い行方をくらます者、退職を希望する者など、
私と同じように追い詰められている社員が多い、
という風潮がありました。

いまでいう「ブラック企業」というやつですね。

運ばれる救急車のなか、私はいろいろと考えてみました。

フリーター時代からここまでの仕事を振り返り、
自分のなかでそれを良く見つめなおしていきました。

たくさん見つめなおし、たどり着いたひとつの
答えがあります。

それは、

「いまのこの人生はNOである」

ということでした。

ずっと考えてきたことですが、仕事の忙しさにかまけて、
今の人生を無理矢理飲み込んでいました。

生き甲斐のある仕事ではなく、いつの間にか、
黙々と目の前にあることを片づけていく、
身体を壊してまでも、淡々と成果を上げていく。

このような生活が楽しいわけはありません。

自分はこの環境にいたいのか?
納得しているのか?
やりがいや人生をかけてできるのか?

答えはすべてが「NO」でした。

そして、この瞬間からまったく新しい、
考えてもいない未来への第一歩を踏み出して
いくことになります。

 

いざ!心理カウンセラーという本当の姿へ

救急車に運ばれてから、入院はなく点滴を打ち
無事に帰宅しました。

その後数日間は療養のため、会社を休みました。

「いまのこの人生はNOである」

と気がついたものの、これまでいまの仕事一筋で
やってきたので、実際にはなにをしたらいいのか?
見当もつきません。

しばらくはダラダラと自宅で過ごしながら、
いろいろと考えを巡らせていました。

自宅療養で3日ほど経ったある日、何気なく
見ていた新聞に心理カウンセラーとこころの
病から回復された方の対談が乗っていました。

その記事を読みすすんでいくうち、

「これだ!」

と、とても強く“心理カウンセラー”という職業に
惹かれていました。

もともと現場の責任者のときや所長代理に上がって
からも、アルバイトやパートさんの話を聞き相談を
受けていたので、こんなような仕事はないのかな、
と漠然と考えていたことがあります。

また、昔から人間や心理学に興味があり、
いつか学んでみたいな、とも思っていたのです。

そのときに感じていた、「人の話を聞く仕事」
がここにある!と見つからなかったものを
見つけたような瞬間でした。

その記事の最後にはカウンセリングスクールの
体験授業があり、さっそく申し込みをしました。

その後体験授業に参加して、「こんな世界があるんだ」
と驚いたのをいまでも覚えています。

体験授業に参加しカウンセリングスクールの本申し込みは
まだ会社勤めの身なのでしませんでしたが、私のなかでは、

「心理カウンセラーで食べていこう」

と強くはっきりと自覚した瞬間でした。

その後療養期間も終わり、会社に復帰しました。

相変わらず忙しく、私の役割はなにも変わっておらず、
これまでのように仕事をしていましたが、私のなかで、
「心理カウンセラーで食べていく」という目標が定まった
ので、いままでよりかは苦しくは感じていませんでした。

そしてとうとう、所長に退職の旨を話し、所長から
社長に退職の話は伝わりました。

しかし、簡単に辞めることはできませんでした。

なぜなら、実は来年には私は都内にある違う営業所の
所長の席が決まっていたからなんですね。

来年まではもう半年を切っていました。

会社側も慌てて私のことを引き留めに入り、
なんども話し合いを重ねました。

ですが、私の気持ちは一切変わらず、
新しい人生、新しい未来をすすんでいく
ことだけしか考えることができませんでした。

そして、とうとう会社側も私の固い意志に折れ、
交渉を始めてから1年が経とうというとき、
決着がつきました。

正直言うと、会社員時代の年収はけっこうな
額をもらっていました(1000万円超)

それを辞めてまでうまくいくかわからない
心理カウンセラーの道にすすもうとするのは、
逃げではなく、私のミッション(志)に強く
根ざしたからだと思います。

会社を退社した私はそれから晴れて入学をしたかった
カウンセリングスクールに無事入学しました。

そのスクールではカウンセリングの基礎、知識、
理論ならびに演習など充実した内容で、
毎回通うのがとても楽しかったです。

カウンセリングスクールでの学びは約2年続き、
その後はいきなり独立開業のカウンセラーを
目指しました。

なぜ最初からどこかに属せず、いきなり
開業カウンセラーを目指したのでしょうか?

それは、当時カウンセリングスクールの
資格だけでは雇ってくれる機関がなかったからです。

また別の資格などを取らなければ就職など皆無であり、
カウンセラーで食べていくことなど夢のまた夢でした。

ならば、最初のほうは苦労してもいきなり
開業カウンセラーから始めよう。

自由な立場で個人事業として、カウンセラーとして
活動していこう、と決断しました。

それまで会社員だった私は、さて、なにをすれば
良いのか?さえわかりませんでした。

ちょうどインターネットが盛り上がってきた時
でしたので、あらゆることを調べ、聞きに行き、
本を読み、少しずつ少しずつクライアントが
増えていきました。

そしていまでは、開業当初から数えて1800名以上、
2300件以上のカウンセリングをおこなって
きました。

今現在も毎日とても忙しく、悩んでいる
クライアントさんに全力でお力添えを
しています。

Dreams come true(夢は叶う)

会社で倒れ救急車で運ばれ、その中で決意した、

「カウンセラーとして食べていく」

ということ。

まさにいまの私はカウンセラーになりたい、
カウンセラーで食べていきたい、という
ひとつの夢を実現させました。

カウンセラーとして活動していくなかで、
さらにやりたいこと、立ち上げたいこと、
実現させたいことなどが新たにたくさん
出てきました。

私はこれからの日々、カウンセリングを通し、
クライアントさんに適切な援助をしながら、
わらなる夢の実現に向かって邁進していきます。

ここまでお読みいただきまして、
真にありがとうございました。

 

心理カウンセラー 三木ヒロシ

 

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パニック障害専門カウンセラー三木ヒロシ

パニック障害に特化したカウンセラー。これまで約2000人の方にパニック障害の完治、改善へのカウンセリングをおこない多くの人の支援をしている。カウンセリングの他に講座やセミナーも定期的に開催している。 >>詳しいプロフィールはこちらから

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